「発見!今週のキラリ☆」Vol.30
2008.04.18
「ピンク★コンプレックス」 by 杉田洋子
“憎い 恋しい 憎い 恋しい
めぐりめぐって今は恋しい”
(「雨の慕情」 by 八代亜紀)
私のピンクへの思いはこの歌に集約されてる。
ピンクは初めて愛憎の表裏一体を教えてくれたものであり、
自分の成長過程と切り離せないものである。
恐らく大抵の女の子には、ピンクという色を迎合する時期と
拒絶する時期があるんじゃないだろうか。
小学校に上がる頃までは、私もピンク迎合派の一員だった。
でも現実は残酷にも、私の夢を打ち砕いた。
ピンク色のキキララ・デスクをねだる。(当時、女子の間で大流行)
→両親の一存で、高橋名人(当時、大流行)のパネルが入った
ナチュラルブラウンの学習机が届く。
パステルピンクのジャージキャラになりたい。(当時、同級生はみな
自分のシンボルカラーのジャージを着ていた)
→私のジャージはいつも青や紫。
スキーウェアは黄色だったし、スキー板は黒かった。
親友のAちゃんは私が欲しいピンクを全部持ってた。
そして、とてもよく似合ってた。
私はうらやましかった。そして、かなわないなと思った。
思えばこの時すでに、ピンク・コンプレックスの核が
私の中に芽生えていたのだろう。
だが小学校中学年にもなると、
ピンクを身に着けることに恥じらいを覚え始める。
ステレオタイプへの反発だ。
あからさまに女の子らしくすることが、
格好悪いような照れくさいような気がして、私はピンクを拒絶した。
両親のデスクチョイスに本気で感謝したものだ。
だが皮肉にもこの頃、いとこのお下がりで
ラメがかったショッキングピンクの自転車をもらった。
私は遠出をやめた。長いピンク氷河期が幕を開けた。
その間、何度か流行に緩和されたこともある。
ロマンチックやキュートがはやれば、
ホっとしてちょっぴりピンクを取り入れたりした。
でも、本当は心のどこかで、ずっとピンクに憧れていたのかもしれない。
堂々とピンクをまとい、いわゆる“女らしい女の子”というのが
うらやましかったような気がする。
今ではもちろん、周りの目なんて気にしないし、
純粋に好きか嫌いか、似合うか似合わないかでものを選ぶ。
ショッキングピンクは大好きだし、似合わないから服は選ばない。
次のケータイはビビットなピンクにする。
私はピンクを克服しつつある。
その一方で、ずっとピンクに抱いてきた「あまのじゃく性」は
しこりとして残っているのか、今も私は素直になれないことが多い。
たとえば、欲しいものを手に入れるために頑張ることが恥ずかしくて、
わざと手を抜いてしまったり。
もちろん、あとでしこたま後悔した。
そんな苦い記憶をたどるとき、ピンクへの愛憎を思い出す。
私にとってピンクは、手の届かない憧れや好きなものを跳ね返してしまう、
コンプレックスのシンボルカラーになっている。
“憎い 恋しい 憎い 恋しい
めぐりめぐって今は恋しい”
(「雨の慕情」 by 八代亜紀)
私のピンクへの思いはこの歌に集約されてる。
ピンクは初めて愛憎の表裏一体を教えてくれたものであり、
自分の成長過程と切り離せないものである。
恐らく大抵の女の子には、ピンクという色を迎合する時期と
拒絶する時期があるんじゃないだろうか。
小学校に上がる頃までは、私もピンク迎合派の一員だった。
でも現実は残酷にも、私の夢を打ち砕いた。
ピンク色のキキララ・デスクをねだる。(当時、女子の間で大流行)
→両親の一存で、高橋名人(当時、大流行)のパネルが入った
ナチュラルブラウンの学習机が届く。
パステルピンクのジャージキャラになりたい。(当時、同級生はみな
自分のシンボルカラーのジャージを着ていた)
→私のジャージはいつも青や紫。
スキーウェアは黄色だったし、スキー板は黒かった。
親友のAちゃんは私が欲しいピンクを全部持ってた。
そして、とてもよく似合ってた。
私はうらやましかった。そして、かなわないなと思った。
思えばこの時すでに、ピンク・コンプレックスの核が
私の中に芽生えていたのだろう。
だが小学校中学年にもなると、
ピンクを身に着けることに恥じらいを覚え始める。
ステレオタイプへの反発だ。
あからさまに女の子らしくすることが、
格好悪いような照れくさいような気がして、私はピンクを拒絶した。
両親のデスクチョイスに本気で感謝したものだ。
だが皮肉にもこの頃、いとこのお下がりで
ラメがかったショッキングピンクの自転車をもらった。
私は遠出をやめた。長いピンク氷河期が幕を開けた。
その間、何度か流行に緩和されたこともある。
ロマンチックやキュートがはやれば、
ホっとしてちょっぴりピンクを取り入れたりした。
でも、本当は心のどこかで、ずっとピンクに憧れていたのかもしれない。
堂々とピンクをまとい、いわゆる“女らしい女の子”というのが
うらやましかったような気がする。
今ではもちろん、周りの目なんて気にしないし、
純粋に好きか嫌いか、似合うか似合わないかでものを選ぶ。
ショッキングピンクは大好きだし、似合わないから服は選ばない。
次のケータイはビビットなピンクにする。
私はピンクを克服しつつある。
その一方で、ずっとピンクに抱いてきた「あまのじゃく性」は
しこりとして残っているのか、今も私は素直になれないことが多い。
たとえば、欲しいものを手に入れるために頑張ることが恥ずかしくて、
わざと手を抜いてしまったり。
もちろん、あとでしこたま後悔した。
そんな苦い記憶をたどるとき、ピンクへの愛憎を思い出す。
私にとってピンクは、手の届かない憧れや好きなものを跳ね返してしまう、
コンプレックスのシンボルカラーになっている。
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